応援メッセージ

赤松 良子 元文部省(現在の文科省)大臣

1985年成立の「均等法」の産みの母であり、元文科省大臣の赤松良子さん。

1988年には国連女性差別撤廃委員会で、委員の一人として、日本政府に対し、選択的夫婦別姓の法改正を促しました。

2023年6月、「民法750条は形式的には平等だけど実質的不平等でまやかし」と、裁判や運動を励ましてくださいました。

太田 啓子 弁護士

婚姻により同姓にする選択も別姓にする選択もできるように、ただただ選択できる制度があればいいだけなのに、それを頑なに拒む国会のありようにずっと怒りを覚えています。司法判断を求めて法律を変えていこうと動かれている原告の皆さんと弁護団に心から敬意を表します。

私は婚姻で改姓しました(離婚後も子どもの関係諸々で婚氏続称しています)。
事実婚の選択肢もありましたが、法的な保障の限界に伴う煩雑さもわかっており悩みましたが法律婚としました。相手に改姓を求めることもあり得たでしょうが、多くの女性が経験しているように「私が変えた方が各方面の摩擦が少なく済む」という圧倒的な現実に妥協しました。ですが、自分のアイデンティティに関わる摩擦を自分だけが抱えさせられる理不尽はやはりおかしかったと思います。まさに、「過酷な二者択一」を迫られ、不本意に妥協したわけです。モヤモヤと葛藤もありつつも「私の仕事は通称でできるし改姓の不利益は最小限にできるだろう」と思おうとしました。

しかし改姓による仕事上の不便、不利益は今なおありますし、やはり婚姻による改姓を強要されることの根本的な問題は、人格権侵害と性差別です。

日本の性差別構造は根深いながら、少しずつ社会は変わろうとしています。
しかしそれにどうしても抗いたい一部の人達が、執拗かつ理不尽な情念で同姓強制を維持しようと粘りに粘り続けているのが現状です。
これはもはや、個人の尊厳と平等を求める声を抑えること自体に意義を感じている人達が権力を持ってしまっているということではないかと思っています。

こんなおかしなことは一日も早く正されなければなりません。私も微力ながら声をあげ続けたいと思います。

井田 奈穂 一般社団法人あすには 代表理事

自分の氏名を変えたくない、お互いの氏名を尊重し合いたいカップルが法律婚し、家族として認められたいと願うのは、わがままでしょうか? いいえ。憲法は個人の尊重、平等原則をうたっています。かつて改姓しなければ結婚できない国は多かったものの、今では日本しかありません。どの国も法改正をして、SOGIによらず自分の氏名を保持する権利を国民に保障しています。日本がそうなってはならない理由がありません。国連から度重なる改善勧告を受けながらも、こんな当たり前の権利のために半世紀も当事者が訴え続けねばならないこと自体が、日本がジェンダー平等後進国であることを表しています。

諦めず立ち上がって下さった第3次別姓訴訟原告、弁護団の皆さんに心からエールを送ります。願わくば、最高裁判決前に法改正が達成できるよう、立法府への働きかけも強めていきます。

足立 修一 弁護士

夫婦別姓の一日も早い法制化のために、共にがんばりましょう。

中野 晃一 上智大学 国際教養学部 教授

法務省のホームページに掲載されているファクトなのですが、もともと徳川時代には農民や町民が苗字を使うことは許されていませんでした。兵役を課す際の必要から明治に入って氏(姓)の使用が義務化され、明治31年(1898年)までは夫婦別氏制(結婚後も妻は実家の氏を名乗ること)が政府によって定められていたのが、この時旧民法の制定で夫婦は「家」を同じくするとして夫婦同氏制が強制されるようになったといいます。戦後も戸籍制度が維持され、いまだに夫婦同氏(同姓)が強制されているわけですが、明治31年の旧民法という恣意的な基準がなぜ日本「固有」の家族のあり方、名乗り方などと言えるのでしょうか。家族が壊れるとか言ってみたところで、それは恣意的に「伝統」を使うことで現在生きる人々の生活や権利を自分の意のままにコントロールしようという一部の偏狭な政治家たちの支配欲でしかないのではないかと思います。
政治のアップデートと選択的夫婦別氏(別姓)制度の実現は同一の課題です。もういい加減、変えましょう。

阪井 裕一郎 慶應義塾大学文学部 准教授

「生まれもった名前」を変えたくないと考える二人が出会い、結婚を望んだとしても、今の日本の法律では結婚が許されないという状態です。

生活のほとんどすべてを通称の旧姓で過ごす人も増えています。結婚の際にどちらか一方に戸籍名の変更を強いることに合理性があるとはとても思えません。選択的夫婦別姓の実現によって救われる人が数多くいます。

第3次別姓訴訟を心より応援しています。

能條 桃子 NO YOUTH NO JAPAN代表/FIFTYS PROJECT代表

立候補年齢引き下げ訴訟の原告として、日本社会に生きる人間の1人として、第3次別姓訴訟の原告と弁護団、関わる全ての皆さんの活動に心からのエールを送ります!本当にありがとうございます。

なかなかジェンダー平等が進まない日本社会、そろそろ選択的夫婦別姓くらいクリアしてほしい!!と願っています。

日本全国、「自分の苗字のまま結婚したい」と願う全ての人の声に裁判所が人権という視点で向き合ってくれること祈っています。

私もできることをやります!一緒に頑張りましょう〜!

中井 治郎 社会学者 文教大学 専任講師

結婚する二人は同じ姓でなくてはならない。そんなわが国の制度は、何を守り、そして何を犠牲にしてきたのでしょうか。

そして、この社会はどれだけそのことと向き合ってきたといえるでしょうか。

私たちが暮らすこの社会の成熟のためにも別姓訴訟の果たす役割は大きいと感じます。

瀧波 ユカリ 漫画家

「どちらかが名字を変えるという条件を飲みさえすれば夫婦になれる」、なんて残酷なシステムなんだろうか。

「たかが名字なんだからどちらかが変えればいいじゃないか」という声には「たかが名字なんだから夫婦別々でもいいじゃないか」と返したい。

そして言うまでもなく、名前とはだれにとっても大切なもの。選択的夫婦別姓の実現を強く望みます。

坂本 洋子 NPO法人 mネット・民法改正情報ネットワーク 理事長

原告、弁護団のご尽力に心から敬意を表します。
今回は必ず違憲判断がなされると確信しています。婚外子相続分差別規定では、1995年に大法廷が合憲決定しましたが、2013年に大法廷は、2001年まで遡って違憲と決定しました。合憲判断からわずか6年で違憲と判断したことになります。第一次訴訟の2015年の合憲判決からすでに9年めを迎えています。もはや、立法解決を期待して、合憲判断することなど許されないし、あり得ません。

違憲判断を心待ちにしている一人として、第三次訴訟を心から応援しています!

林 陽子 弁護士、元国連女性差別撤廃委員会委員長

 第三次夫婦別姓訴訟が良い結果を獲得することを期待いたします。
 2015年の大法廷判決の中で、寺田逸郎長官は、この訴訟は「法律関係のメニューに望ましい選択肢が用意されていないことの不当性を指摘」するものであるが、裁判所の合憲性審査の対象とするのは本質的に難しい、という補足意見を書いています。
 しかし、夫婦同姓の強制は、「メニューに自分の好みのものが含まれていない」という嗜好の問題ではありません。たとえば、かつて公職選挙法は成年後見の審判を受けた人(被後見人)から選挙権を剥奪していました。後見審判を受ける前までは選挙で投票していたダウン症の女性が、違憲訴訟を起こして勝訴した結果、公選法から該当の条項が削除されました。当時、この訴訟の争点を「被後見人にも選挙権を与えるという選択肢が公選法のメニューにないことが問題だ」、などと総括した人は、私の知る限り、誰もいません。法律が後見審判を受けた人から選挙権を奪っている、その事実の違憲性が問われたのであり、制度そのものが人権侵害だと司法が認めたのです。
 夫婦別姓での法律婚を認めない日本の民法は、メニューの過不足の問題ではなく、多くの人の人権を侵害しています。日本には包括的反差別法も国内人権機関も個人通報制度の受諾もなく、人権保障システムの貧困は明らかですが、裁判所が人権の砦としての役割を果たしてくれることに望みをかけたいと思います。

宮子 あずさ 看護師・コラムニスト

1990年に結婚して今年で34年になります。結婚した当初、程なく実現すると思っていた選択的夫婦別姓は、未だに実現しません。結婚にあたっては、旧姓を通称として使用できる職場環境が私のみだったこともあり、私が改姓しました。
26歳だった私は還暦を超え、命ある内に自らの姓を取り戻せるのか焦りを感じ始めています。姓にはこだわらない、変えてもよいという人は、それはそれでかまいません。ただ、私のように姓にこだわり、変えたくない人間もいる。人によって、姓への考え方は多様であり、私にとって改姓の強要は人権侵害にほかなりません。こんなことを、いったいいつまで言えばいいのか。

人権の問題は、多数決で決められるものではないはず。だからこそ、政治ではなく司法の出番なのです。

アルテイシア 作家

名字を変えないと結婚できない国は日本だけ。選択的夫婦別姓は、「名字を変えなくても結婚できる」という選択肢が増えるだけ。同姓/別姓を国にも誰にも強制されず、本人たちが選びたい方を選べばいいだけ。これに反対する理由ってありますか??

「だって家父長制を守りたいから」という人たちに、私たちの権利を奪われてなるものか。Smash the patriarchy!

内田春菊​ 漫画家

子ども4人いて、結婚と離婚を3回ずつし、日本の結婚制度とその周辺にはこりごりしている私でなくても、結婚の新しい形を歓迎したい人はいっぱいいると信じています。​

(撮影 鈴木親)

青野 慶久 サイボウズ株式会社 社長

原告団のみなさまの勇気ある活動に、心からの応援を送ります。

私もかつて訴訟を起こしましたが、そのときは残念ながら棄却されてしまいました。その経験から、この訴訟は容易ではないことを痛感しています。いまだに一部の自民党の国会議員が立法を拒んでいますが、政治の風向きは大きく変わってきました。

今こそ司法から風穴を開け、国会を動かす時です。みなさまの訴えが裁判官の心に届き、勝利することを心から祈っています。

三浦 まり 上智大学法学部 教授

私自身は、いわゆる通称で仕事をしており、パスポートには通称名が併記されていますが、通称で飛行機に乗ろうとすると、パスポート自動チェックは通りませんので、毎回止められます。また、どんどん規制が厳しくなっており、この5〜6年ぐらいは通称でチケットを取ったことがありません。
海外では、ホテルがパスポートの戸籍名でしか取れないとか、講演の謝金が戸籍名でしか受け取れないとか、会議でのネームプレートが戸籍名になっていて怒りと脱力と屈辱とを味わうとか、さまざまなトラブルがあります。また、マイナンバーを提出するたびに、通称使用であることが必要以上に知れ渡ることにも不快感を感じています。
選択的夫婦別姓が人権の観点から実現されることを強く望みます。

二宮 周平 立命館大学 名誉教授

第3次別姓訴訟を心から応援します。

最高裁判所によれば、氏名は「人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するもの」(1988年2月16日判決)です。婚姻に際して夫・妻のどちらか一方が改姓しなければならない現行制度は、改姓したくない人の人格権を侵害します。だから、第3次訴訟の真の争点は憲法13条の個人の尊重だと思います。

一人ひとりの氏名に対する思い、その人自身のアイデンティティをないがしろにする制度は、明らかに個人の尊重に反します。裁判所が憲法13条に即して判断することを願っています

伊藤 公雄 社会学者 京都大学・大阪大学名誉教授

明治民法によって作られた、ほんの100年ちょっとの歴史しかない「発明された伝統」=夫婦同姓に何でこんなにこだわるのでしょう。「家族主義」を強調する政治家たちが、家族を大切にしているように思われないのも不思議なことです。家族を本気で大切にするというなら、同性婚を含む多様な家族の形を認めるとともに、さまざまな困難にさらされている家族=親密な関係にある人たちの共同生活を、きちんとサポートすることにもっと目を向けてください。

駒崎 弘樹 NPO法人フローレンス代表理事

AIに仕事を任せていこうという21世紀にもなって、苗字も選べない社会なんて、バカバカしいにも程があります。

子ども達に、より自由で生きやすい未来を残していきましょう。夫婦別姓訴訟を応援しています。

中里見 博​ 大阪電気通信大学 人間科学教育研究センター教授

日本社会は「姓」で呼び合う社会ですから、「姓」こそ一人ひとりが他者から個人として識別され、自分自身にとって自らの人格の核となる役割を担っています。その姓を捨てなければ婚姻が成立しない現行法は、憲法上疑義がありますし、社会的圧力によってほぼ女性が姓を変更させられていることも性差別的です。個が尊重され、女性の個人としての尊厳が害されない社会をつくる上で、夫婦別姓訴訟で勝利することがとても大切です。

中島 京子 小説家

2015年に現在の連れ合いといっしょになりました。ちょうど、夫婦別姓の大法廷が開かれた年で、とうぜん「同姓強要は違憲」という判決が出ると思っていたので、選択的夫婦別姓が可能になったら入籍しようと考えておりました。そのため、いまだに婚姻の届出をせずに、事実婚という形になっています。