別姓訴訟を支える会事務局

代表 福沢恵子

私が新聞記者として夫婦別姓を求める動きを取材したのは20代の終わりでした。あれから30年余りの歳月が経過しても、日本ではまだ夫婦がそれぞれ生来の苗字のままで法律婚ができません。
家族のあり方は多様化しています。夫婦に同姓を強制することで、この国はどれほどのものを失ったのでしょうか。結婚を忌避する若い世代、ますます加速化する少子化。これは現在の結婚のあり方があまりに窮屈であることの反映ではないかと思います。今回の訴訟はこの閉塞した状況に風穴を開けるものです。勇気を出して立ち上がってくださった原告の皆さんを弁護団と共に支えて参りたいと思います。どうぞご理解・ご支援のほどよろしくお願いいたします。

副代表  小国香織

2015年に最高裁で判決が出された第1次(選択的)夫婦別姓訴訟で原告となり、第2次訴訟では支える会で応援に回っています。「自分の名前の事は自分で決める」ーーささやかながらも大事な尊厳が、今の日本の法律では結婚というつながりと引き換えにされています。ある知り合いのアメリカ人で、私が第1次訴訟に関わっていたと英語圏のメディアを通して知ってくれた人から「政府の名前じゃない、『私』の名前だよね」と言われて、その言葉通りのシンプルな課題だよね、と思っています。シンプルな課題ながら司法での闘いには難しい論理が必要ですが、そこは頼もしい原告団・弁護団の皆さんに託すしかありません。その分、皆さんのご注目、ご協力が力になります。よろしくお願いします。

メンバー 上田めぐみ

夫婦別姓がメディアで取り上げられ始めた1990年代、私は中学生で当時からこの話題にとても関心を持っていました。自分が大人になる頃には、法律は変わっているのだろうと思っていたのに、もう30年以上が経過。2015年の判決はあまりにショックで、耳鳴りとめまいがしばらく止まらなかったことを覚えています。次の訴訟は絶対に関わって、法改正を実現したいと強く思い、支える会の活動に参加しました。裁判の話は難しいことも多いですが、私も含め、一般の人たちに第2次別姓訴訟の動きをわかりやすく共有したいという思いで、全力でメルマガを作成しています。ぜひ読んでください!

メンバー 夕月(ゆづき)

東京都内で、事実婚の夫と二人の子どもを育てています。選択的夫婦別姓制度の実現のため、何か自分にできることをしたいと、いても立ってもいられなくなり、2018年秋から事務局メンバーとしてメルマガの作成などをしています。この1年ぐらいで議論が一気に進んだ感があります。法改正の日まで頑張ります。

メンバー 知念俊成

当サイトの制作・運営を担当しています。大学生だった1990年代、夫婦別姓という概念を初めて知りました。しかし、当時は、まだ、他人事でした。結婚して、妻から改姓に伴う様々な不便さを聞き、夫婦別姓問題を自分事として認識しました。妻の苦痛は私自身の苦痛と捉えて、選択的夫婦別姓への理解を世間一般に広めたいと考えています。私は、娘を持つ父親に、選択的夫婦別姓への理解を深めて頂きたい、と思っています。現在、夫の姓を選択する夫婦は、全体の96%です。現行の法制度では、将来、あなたの娘さんが婚姻時に氏の変更を強いられ辛い思いをする可能性があります。つまり、あなたの娘さんが、「結婚後も自分の名前を変えたくない」、と考えている場合、著しい苦痛を味わうことになります。ご自身の娘さんが自分の名前を結婚後もそのまま使い続けることのできる選択肢があったほうがいいとは思いませんか?娘さんの為にも、法制度改正に向けて、声を挙げませんか?