☆別姓訴訟を支える会 メールマガジン☆第70号  2022年03月08日

別姓訴訟を支える会事務局です。

前回に続き、「夫婦別姓─家族と多様性の各国事情」(ちくま新書)を出版した著者の案内で、「夫婦別姓」をテーマに世界を巡ります。
第2コースの案内人は、前回と同じくベルギー在住の栗田路子さんです。

◆◆◆

【第2コース】フランス→ベルギー→ドイツ

毎朝目覚めると、さらなる戦況の悪化が伝えられるウクライナ情勢。
ドイツ・ベルリンやフランス・パリへの大規模移送が始まり、我が家のあるワーテルロー市でも受け入れ家庭の募集が始まったので、家族会議の末、名乗りをあげました。
いつまで?健康保険は?子どもの学校は?など不安は山ほどありますが、雨露をしのげる部屋と質素でも暖かい食べ物なら分かち合える。
ベルギー在住のウクライナ人の知人ゾヤさんが、悲痛なSOSの声を上げ始め、支援物資や寄付を呼び掛けています。
国際赤十字やUNICEFよりも、顔の見える人に託したいという方がいれば、私までご連絡ください。

さて、夫婦別姓の各国事情です。

私の第2のお薦め読み進みコースは、「フランス→ベルギー→ドイツ」だ。

西欧はまるっとキリスト教社会と思われるかもしれない。

その始まりは、ギリシャ・ローマ文明を継承する薫り高き(?)ガロ・ローマ人(フランス人の祖)と、ライン川を隔てて東側にいたマッチョで野蛮(失礼!)なゲルマン民族(ドイツ人の祖)がキリスト教化して、5世紀末できた巨大なフランク王国だ。

フランク王国は、9世紀頃から、西(後のフランス)、東(後のドイツ)、中央(後のイタリア)に分裂するわけだが、その頃、北欧から南下してノルマンディー地方(フランス北部)に住み着いていたバイキングが、後にフランスから追い出されてイングランドに持ち込んだのが「カバチャーの法理」だったと考えると、西洋キリスト教社会の家父長的価値観が欧州全般に広がっていった歴史をイメージできるかと思う。

中世は本を読んでいただくとして、フランス革命による人権宣言は驚くほどリベラルで、「姓名不変の法則」まで法制化された。
にもかかわらず、価値観大変革の時代に登場したマッチョなナポレオンによって、復古的な家父長制に戻されてしまう。
こうして、「正式には出生時の姓名」のはずなのに、通称では夫の姓を名乗る女性が大半というフランス社会ができあがった。

今では、夫の姓以外にも、両方の姓の連結姓、母親の姓など、様々な「通称」を使う権利も保障されているが、正式なのは出生時の姓名(日本とは逆)。
ちなみに、近代になってから建国したベルギーは、フランス時代の「姓名不変の法則」を基に、オランダ統治下の現実主義も踏襲して、「婚姻と姓名は無関係」がデフォルトとなっている。

ナポレオン法典とともに、日本の明治民法が参考にしたというドイツの仕組みも知っていて損はない。
ドイツでは長らく「婚姻により夫の姓を『家族の姓』とする」だったが、妻の姓でもよくなり、それぞれが出生時の姓名を保つことも(別姓)、さらに発展して相手の姓を家族の姓とした方が自分の姓もハイフンで繋げる連結姓(これも別姓)もありとして段階的に選択肢を広げた。
今でも、夫の姓を家族の姓とする女性が大半。
だが、選択肢を順々に整えていったことこそ、日本が手本にしてほしいと願ってしまう。

西洋社会は、その後も、子どもの姓、結婚以外のカップルの形、同性婚へと、社会が目まぐるしく進化し、法制度がアップデートを続けていることを本著から読み取っていただきたい。

栗田路子

(次回に続く)

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