みなさんこんにちは。別姓訴訟を支える会事務局です。
今号から8回にわたり(予定)、6月23日に出された最高裁大法廷の決定について、別姓訴訟を支える会関係者全員のコメントを掲載します。どうぞお付き合いください。
今号では、折井純、飯岡久美、野口敏彦各弁護士のコメントをご紹介します
前進あるのみ!
2021年6月23日午後3時、大法廷の決定書を受領するため、原告と弁護団のメンバーは最高裁の正門に集合していました。
最高裁の堅牢な建物を見上げて、私は5年半前のことを思い出しました。
2015年12月16日、第一次訴訟の判決の日です。
この日、最高裁の大法廷判決を受け、当時の原告や弁護団は、驚愕と失望、私も涙が溢れ出ました。
この判決のショックが大きすぎて、しばらく今後のことを考える余裕はなかったように思います。
前回と大きく異なることは、今回、私たちは次も見据えてすぐに動き始めていることです。
前回以上に、支援の声が広がっていることも大きな支えとなっています。
2015年判決以降、旧姓を通称使用できる範囲は拡大しましたが、ダブルネームの使い分けは不便ですし、コストやリスクも伴います。
そもそも本質的な問題を解決するものではないです。今回の反対意見でも述べられている通りです。
選択的夫婦別姓の実現という根本の解決に向けて、前進あるのみ、これからも声を上げ続けていきます!
弁護士 折井 純
何度でも読みたい21年決定
15年決定は、いろいろ気持ちが悪くて繰り返し読むことが困難でした。
21年決定は、何度でも読みたい判決文です。特に次の部分が好きです。
(1)婚姻自体は、国家が提供するサービスではなく、両当事者の終生的共同生活を目的とする結合として社会で自生的に成立し
一定の方式を伴って社会的に認められた人間の営みであり、私たちは、原則として、憲法24条1項の婚姻はその意味と解すべきであると考える。
(2)婚姻届への単一の氏の記載という要件を婚姻成立の要件として課すことは、婚姻により当事者の一方のみが
生来の氏名に関する人格的利益を享受し続けるのに対し、他方は自分自身についてのかかる人格的利益を享受できず、
かつ、かかる人格的利益の喪失による負担を負い続けることになることを意味し、
(3)逆説的ではありますが、補足意見の「憲法24条1項は、・・・ここでいう婚姻も法律婚であって、これは、
法制度のパッケージとして構築されるものにほかならない。」
という部分も気に入っています。
どのような内容であってもパッケージごと受け入れるか否かの選択だと言われると、15年判決が間違っていることが分かり易くなったと思います。
弁護士 飯岡 久美
「明治」から次の時代へ
令和3年6月23日,最高裁大法廷は,またも合憲判断を下した。
正直に言って,この件で2回連続で合憲判断を出したら,この国の司法は本当に終わってるなと思う一方で,第1次訴訟からまだ5年半しか経っていないので,
どこかでこんな決定もあり得るかな,と予想(覚悟?)はしていた。
ただ,それは法律家の発想で,別姓婚の実現を待ち望んでる皆さんには,2度目の深い苦痛を味わわせることになってしまうかもしれない,
その時には記者会見で何て言おうか…,当日の朝自宅を出る時には,そんなことを考えていた。
決定後の記者会見では,泣いておられる方もいて,日本中で同様の想いをされている方がいるのかと,やはり沈痛な気持ちになった。
でも,何人かの方が仰ったとおり,「2015年の時の経験」があるからなのか,会見場の雰囲気は決してお通夜のようなものではなく,
いつからか,早くも新たな決起集会のような様相を呈していた。
元レッドソックスの上原投手の言葉ではないが,別姓婚の選択肢を求める方たちは,踏まれても踏まれても立ち上がる「雑草魂」を,
いつの間にか身に着けてしまったのかもしれない。
話はだいぶ飛ぶが,私はご多分に漏れず幕末が好きで,坂本龍馬や高杉晋作,そして吉田松陰先生のファンだ
(私の実家から歩いて5分くらいのところに松陰神社があり,毎年初詣は松陰神社で行っていた)。
今の陳情アクションの皆さんの動き等を見ていると,吉田松陰先生の「草莽崛起論」を思い出す。
正に「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。」
(今の幕府も諸侯(藩主)ももはや酔っぱらいのようなものだから助けるすべがない。 在野の人が立ち上がるのを望む以外に頼れるところはない。)という思いだ。
「草莽」の皆さん,「雑草魂」で立ち上がりましょう。
また話は飛ぶが,日本人の生き方には「国が定めた一本道」をひたすら歩むような,そんな不自由さ(真面目さ?)がある気がする。
教育も義務教育で1つの内容を一律に教え込むし,就職も大体みんな同じタイミングで同じようなリクルートスーツでする。
結婚も名字は同一で,異性婚じゃなきゃいけない。
私は,同僚の竹下と共に,一般社団法人OSDよりそいネットワークというひきこもり支援団体の顧問をしているが
(ちなみに「OSD」とは,「親が,死んだら,どうしよう」の略である…),ひきこもり界隈で良く言われるのが,「多様性」である。
「日本の一本道のレールから外れた人が引きこもる。元々色んな生き方が認められていれば,引きこもる必要なんてない。」という声である。
今,林真理子さんの「小説8050」という本がベストセラーになっているようだが,日本における引きこもりは,今公的な統計に表れているだけで100万人以上いる。
引きこもりは通常「表に出したくない」ことなので,実際はこの数倍いるのではないかとも言われている。
平成30年(2018年)は,「明治150年」だったらしい。「明治」期に中央集権国家を作るためには,「全員一律」の価値観を国民に植え付ける必要が
多分にあったのだろうと思うが,その「みんな,おんなじ」には限界がある。
当たり前の話だが,人間は1人1人違うからだ。
だから,私は,早晩必ず選択的夫婦別姓も同性婚も実現すると思っている。
日本人は,政治に失望していると良く言われる。でも,失望してる場合じゃない。失望していたら,余計つまらなくなるだけだ。
高杉晋作は,「面白きこともなき世を面白く」という句を詠んだ。私もそう思う。失望してるくらいなら,面白くしよう。
幸いなことに,選挙権の年齢も18歳に引き下げられ,若者の皆さんも動き出している。LGBTの皆さんも動き出している。
さらに,世の中にはネットもSNSもある。みんな,簡単につながれる。人をつなぐのが専門のサイボウズの青野さんも,僕たちの味方だ。
Wikipedia情報によると,●●会議の会員は約40000人らしい。
たった40000人集まれば,日本を牛耳れるようだ。他方で,今の政治がおかしいと思う人は,一体どれくらいいるんだろう?
少なくとも1000万人単位の人が,少なくとも内心では,今の政治はおかしいと思っているのではないか?
おかしいと思うなら,動こう。変えよう。日本はまだ変えられる。
平成31年は令和元年で,今は令和3年だ。「明治」は150年で終わりで良いじゃないか。
令和は,「草莽」の皆さんが国から人生の主導権を奪い返した時代として,後世の日本人に褒めてもらおう。
弁護士 野口 敏彦
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